【NOC】NOCレポート2008

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2008.12.22 up

オーガニックブーム第三波到来か!


2008年を、振り返ってみると中国野菜の残留農薬問題、日本の食品工場の製品偽装問題などなど消費者を不安に陥れる事件が相次ぎました。長引くデフレ経済で、生産者は低価格競争の荒波の中、生き残りを掛けたぎりぎりの企業努力を行っています。正当なコスト削減策の限度を越えて、偽装に奔るという現実が見えてきました。偽装食肉工場の経営者が「消費者が安いものを欲しがるから仕方ない」と発言して、大いにひんしゅくを買っていました。
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いままで「安心・安全」という言葉は安易に語られ、使い古されてきた感がありますが、ここに来て改めて真剣に問われなければならない時代になりました。案の定,今年は、オーガニック食品関連企業や、オーガニック野菜の宅配事業者はどこも業績を伸ばしています。

オーガニックブーム第三波が来ているという見方が日に日に確かなものになって来ています。



最初のオーガニックブームは1970年の後半から1980年前半に起こりました。
「水俣病」「イタイイタイ病」などの公害問題が起き、有吉佐和子著「複合汚染」がベストセラーになって農薬漬けの農産物に眼が向けられました。生協の運動が活発になり、いくつもの有機農産物の宅配会社が事業をスタートしました。

第二のオーガニックブームは1990年後半から2000年にかけて起こりました。
ヨーロッパ、アメリカの環境運動の高まりの影響で、食品だけでなくオーガニック関連の多用な素材の製品が市場に出始め、「オーガニック」という言葉が一つの新しい価値を持つようになりました。オーガニックコットンもこの時期にスタートしています。

農林省は民間団体と協議しながら有機JAS規格を作り上げました。新たな有機市場が認知されてジワリジワリと市場は拡大してきました。ところがその後、実際に生産者と消費者がうまく結びつくことはなく伸び悩みました。バブル経済崩壊後の「失われた10年」という景気後退期に入り、デフレ経済が進み、オーガニック野菜、食品、その他の商品は安い輸入品との価格差があまりに大きく目立ち、本格的な普及拡大にはなりませんでした。
2006年12月に政府は「有機農業推進法」という法律を成立させて、国を挙げてオーガニック農業を進める意思決定を示しました。具体的な体制作りが行われ始めています。それにしても2007年の有機農産物の全農産物に対する比率は、まだ0.16%とわずかでしかありません。

そして今年、冒頭の「安心安全」を脅かす問題が噴出して、消費者の意識が加速度を上げてオーガニック製品に移行してきています。
衣料品を扱う量販小売店は、長年にわたる過当な価格競争を経て年々利益を落とし、方向性を失っています。価格を抑えるために、品質を落とし信用を失うことを最もおそれています。そこでオーかニックコットン素材を使って、エコロジーや健康安全性や更に、企業の社会貢献策としてフェアトレードの要素も入れた新しい価値観の製品を扱ってゆくことが模索されています。オーガニック第三波の到来が期待されます。

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日本オーガニックコットン流通機構
理事長 宮崎 道男

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2008.11.12 up

有色綿カラーコットンが消えて行く???
あなたは触った事はありますか?
着た事はありますか?


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カラーコットンは、需要不振のため栽培が続けられなくなっています。
オーガニックコットンの市場でも漂白や染色をした方が有利な面が多く、
需要が伸びるに従ってカラーコットンが衰退するという結果になってしまいました。
一般の人々に十分に行き渡り、真価が伝わる前にその姿を消してしまうというのはいかにも残念です。

NOCは、何とか絶やさないよう最大の努力を払い供給を続けてゆきます。


4000年ぶりに陽の目を見た茶色の綿が、わずか10年で消滅してしまわないように、
みんなでもう一度注目し、利用してゆき、来年も有機の畑に
カラーコットンの種が撒かれるよう運動してゆきましょう!


「綿は白い」と言うのが常識でした。でもそれは間違いでした。綿はもともと茶色だったのです。
4000年も前から白く白く品種改良され、その間原種の茶色の綿は、邪魔者として捨てられてきました。せっかく白く育った綿に茶色の綿が飛んできて混じると価値が下がるとして栽培そのものが禁じられたこともあったと聞きます。
徹底的に排除され、いつの日か「綿は白い」が常識となったのです。
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1980年ごろから始まったエコロジー意識改革が1990年に本格化して、具体的な製品としてマーケットの一角を占めるようになりました。そんな時代を背景にオーガニックコットンが登場し、そしてカラーコットンが脚光を浴びました。染色などの化学処理を一切せずに色柄を楽しめる「21世紀型の夢の繊維」と歓喜を持って迎えられました。
ところが移ろいやすいファッション市場にあって、ナチュラルで地味な色は、段々に飽きられてしまい、オーガニックコットンの世界も染色が主流になってしまいました。需要が減って栽培も減り続けてゆきました。

NOCは、カラーコットンの素晴らしさ、意義の深さを尊重してどこまでも続けてゆきます。
大自然の創造主が選んだ尊い色をみんなで着て、次の世代に立派に伝えてゆきましょう!

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【NOC】日本オーガニックコットン流通機構
Nippon Organic Cotton Marketing Organization

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2008.9.20 up

ローラージンとソージン
なぜタンザニアの綿は葉ゴミが多いのか?



インターネット上で消費者の皆さんが製品評価をする専門サイトで、パノコのコットンパフへの評価は非常に高く、嬉しくてこれまでの開発の苦労がかえって懐かしく感じています。

こんなにやわらかいコットンパフは、未体験で“綿”への認識が全く変わりました。

というコメントをいただいたときは有頂天になりました。

コットンパフの工場の担当者からは、NOCの綿はいつも葉ゴミが多く入っていて、除去工程でたくさんロスが出て困ると苦言をいただきます。普通の綿の3倍のロスになる時があるそうです。

普通の綿は、機械で綿花を葉もなにも一緒に刈り取るので当然、葉ゴミが多くなる筈です。アフリカのタンザニアの有機栽培農場は、一つ一つ、人の手で綿花だけを摘みとりますのでゴミは少なくなる筈です。ところが事実は逆です。

きっと農場の人たちの扱いが荒いからゴミが多いのかと思い、もっとキレイな綿を送ってくれと現地に頼んだこともありました。ところがほとんど改善されませんでした。これは何か別の理由があると考え、色々と調べてみました。

原因が判りました。
タンザニアのオーガニックコットンは、大変珍しいローラージンを使っていたのです。

畑から摘んだ綿花には種がたくさん入っています、と言うより一つ一つの種から綿毛が生えていると言ったほうが正確な表現です。これを分離する作業を「綿繰り」といって重要で手間のかかる仕事です。これを英語ではジンと呼びます。

昔は手で綿毛と種を引きちぎり分けていました。今でも極々わずかですがハンドジンで分離している工場はありますが、超高級品用です。綿の繊維が傷まず、丈夫で肌触りが良い製品ができます。

やがて二本のローラーの間に綿を通して種を分けるローラージンが考案されました。「CHURKAチュルカ」と呼ばれ長く使われてきました。ハンドジンより50~100倍の効率が上がりました。(2.5kg/日)その後、機械はどんどん改良されて50kg/時間になりました。1840年にカッター付きローラージンができて300kg/時間と飛躍的な効率になりました。ローラージンは繊維を傷めませんが、短所があります。ローラーの間を綿が通るときに一緒に葉ゴミも通過するため、どうしても葉ゴミが残るわけです。

一方1794年にソージンが発明されました。当時アメリカは綿花の需要が膨大な量になり、効率の良い綿繰り技術が強く求められていました。

ソージンは回転するノコギリの刃で綿毛を引きちぎり、種と綿毛を分離する方法です。なんと一時間に3000kgもの綿を採れるとあって、この機械はあっという間に世界中に広がりました。その間、ローラージンは当然衰退してゆきましたが、決してなくなることはありませんでした。

ELS(エクストラ・ロング・ステイプル)ヤーンいわゆる超長綿など高級な綿は、繊維を傷めないローラージンが今でも活躍しています。


ソージンは、品質よりも、効率を上げるために考え尽くされた方法です。まず機械に掛ける前に、乾燥工程で綿の水分を飛ばします。パサパサにして綿毛を回転刃で引きちぎり、振動やメッシュフィルターを使って葉ゴミを取り除きます。

乾燥しているので簡単に分離できるわけです。ところが綿の繊維は、乾燥すると弱くなり、品質も劣化します。例えば薄い布でも濡れていると手で引き裂こうとしてもなかなか破れませんが、パサパサに乾いた布は簡単にピリピリと裂けてしまいます。このように「乾燥」は、繊維へのダメージが大きいためソージンの技術は、ほとんど効率性と品質低下が起きないようにバランスをとるための水分調整の鬩ぎ合いだったと言えます。

最新鋭のソージンの機械は品質を落とさず効率を上げられるようになりましたが、ELS綿など高級品の糸原料には使わず、今でもローラージンを使っているということは品質面では超えられないと言うことです。


繊維を傷めない手摘み綿をローラージンで品質維持し、強い化学処理ではない石鹸水と熱湯だけでゆっくりと時間をかけて脱脂加工をして出来上がるコットンパフ。

これほど手間をかけた安全で贅沢なコットンパフは他にありません。アレルギーや化学物質に過敏な方もこれなら使えるという理由が分かります。

コットンパフの工場の係りの人の苦言がもう一つあります。同じ密度のコットンなのにオーガニックコットンは、嵩だかでボリュームがあり、工場内のスペースをたくさんとるので困るというのです。フワフワしたものと引き締まったものとでは、大量に作ると確かに切実な問題になるようです。逆に言えばオーガニックコットンはこのように繊維が生きていて元気一杯なのです。


大自然が作り出すものは完璧なのであって、余計な手を加えずそのまま生かして製品にすると素晴らしいものがちゃんと出来るというオーガニックの特長がそのまま表れたコットンパフです。

そして、その違いをはっきりと感じて、支持してくれる消費者の皆さんがいることが、本当に嬉しく思います。

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日本オーガニックコットン流通機構
理事長 宮崎 道男
2008.4.16

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2008.7.8 up

オーガニックコットンの黎明期



化学農薬が使われる、いわゆる近代農業になる以前、今から70年くらい前まではコットンは全てオーガニックでした。そして近代農業の弊害が自然環境破壊と人間を含めてあらゆる動植物への重大な被害があることがはっきりしました。そして元に戻ろうと言う運動が細々とではありましたが始まりました。

1980年末の頃のことです。オランダ、イギリス、フランス、デンマークの食品輸入の協同組合GFF(Good Food Foundation)がトルコでヨーロッパ向けに無農薬の有機栽培の作物の生産を始めました。このとき輪作の作物として綿花が取り入れられました。畑のローテーション(作物の入れ替え)の時に綿を栽培すると次に栽培する作物が良く育ちました。綿は安く利益を生む作物ではありませんので、あくまでも食用作物の脇役的存在でした。オランダのボウ・ウィーブル社がこのトルコの畑で出来たオーガニックコットンを衣料品中心に製品化を始めました。

「環境に優しいファッション」という新しい価値観が出来た瞬間です。

やがてスウエーデンの企業バーナーフランジ社がペルーで、カラーコットンも含めて栽培を始めました。スイスのリーメイ社はインドで零細農家を組織してオーガニックコットンの栽培を始めました。そしてリーメイ社はこの綿を製品化し、スイスの生協組織COOPに繋げました。スイスCOOPは、1993年からオーガニックコットン製品を扱い始め、4年後の1997年には100万点のオーガニックコットン製品を売り上げるまでになってゆきました。

アメリカではカリフォルニアで1980年初め頃から有機栽培の作物が作られ、綿花は輪作の作物として栽培されていました。

有機食品への関心の高まりは、日用生活雑貨の分野にも広がり、タオル、寝具類などオーガニックコットン製品が次々と開発されました。エコロジー・ヘルシー専門のスーパーマーケット、ホールウィートやミセスグッチなどの店頭に並ぶようになりました。やがてファッションの分野にも広がり始めました。

オーガニックの認証は民間の機関が行うことが主流でしたが、例外的に1980年の末にテキサス農務局TDAはオーガニックコットンの認証を始めました。

アメリカでは生まれつき色のある綿の開発が進み、オーガニック認証も取れるようになりました。綿の原種の茶色の生産がまず商業的な軌道に乗り、続いて緑色の綿も生産されるようになりました。

アメリカではグリーンコットンと言えば、この本当に緑色の綿のことを示しています。これに対して、ヨーロッパではエコロジーに配慮のある製品と言うのが常識です。

オランダのノボテックス社が一般のコットンを漂白や染色などの化学処理をせずに仕上げた製品に「GREEN COTTON」というブランド名を付けて営業展開したのでした。

有名なデザイナー、キャサリンハムネットは、オーガニックコットンの理解者で積極的に自身のファッションラインに加えました。

エスプリは「エコレクション」と銘打って果敢に売り場展開しました。パタゴニアは綿製品の原料を全てオーガニックに変えると発表しました。リーバイスもナイキもエコロジーの商品ラインにはオーガニックコットンを加えるようになりました。1990年代は、欧米を中心にエコロジーという新しい価値観のオーガニックコットン商品が散発的ではありましたが出始めた黎明期ということが出来ます。
日本に紹介されるちょっと前のお話です。

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日本オーガニックコットン流通機構
理事長 宮崎 道男

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2008.7.8 up

CO2問題とオーガニックコットン


NOCコットン製品は100%オーガニックコットンで出来ています。

コットンは代表的な天然繊維で、世界中で毎年約2000万トン生産されています。植物は二酸化炭素を吸って炭素分を原料にして葉や茎や花を作ります。そしていらなくなった酸素を排出します。

一年間に地球上で18億トンの二酸化炭素が吸収されてコットンになります。そして13億トンの酸素を作ります。

酸素はあらゆる動物のエネルギーの元であり、大気の浄化をしています。

コットンは繊維を指で撚るとすぐに糸になる特性があり、天然繊維の中で糸に加工するまでの工程が最もシンプルです。

シンプルということは、使われる動力や熱エネルギーが少ないということで、CO2の排出も少ないということになります。

さらにNOCのオーガニックコットンは、インドの小規模なオーガニック農場の人たちが昔からの方法で人の手や家畜の力を借りて農作業しています。

機械を使わないためCO2の排出量はわずかです。農薬を使わないから大気を汚すこともありません。

以上のことから分かることは
コットンの栽培そのものが地球を浄化する「大切な作業」であるということになります。


日本オーガニックコットン流通機構が進めているテーマは漂白も染色もしないコットン生成りの製品の普及ですが、これも色んな化学処理をしないことで熱エネルギー、動力エネルギーを少なくし、CO2削減に貢献しています。

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日本オーガニックコットン流通機構
理事長 宮崎 道男

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2008.6.29 up

「赤の革命」「緑の革命」から「オーガニック革命」へ


どうして世界中でこれほど農薬を沢山使う農業になってしまったのか? 考えて見ましょう。
世界は大きく分けて、支配する側と支配される側に分かれています。大衆と呼ばれる人々は支配される側です。支配する側は巨大な資金力でエネルギーも食料も情報も時には政治体制も支配して、更に強大な力をつけるように動いています。ただその施策はあまりに周到に行われていますので一般大衆には見えません。第二次世界大戦が終わって、それまで軍需物質を作っていた巨大産業は民間企業として生き残ることを模索しました。爆弾の原料には大量の窒素が使われていました。この窒素は、化学肥料の原料でもありました。そこで化学肥料を使う農法が研究されました。1944年にロックフェラー財団によってメキシコで国際トウモロコシ・小麦改良センター(CIMMYT)が設立されました。効率性を徹底的に求めて、革新的に収穫量を増やす研究でした。ちょうどその頃1949年に中国で共産党が権力を握り、それまで農民を支配していた地主たちから一般農民に土地を取り戻させました。いわゆる「赤の革命」です。この動きは、他のアジアの国々の農民運動につながってゆき、同時に共産主義が急速に広がりました。この動きに資本主義を標榜していた西側勢力のアメリカは強い危機感を持ちました。これには、圧倒的に効率の良い農業技術を普及させることで対抗できると考えました。これを「緑の革命」と名づけました。1962年にはロックフェラー財団は更にアジアの国、フィリピンで国際稲研究所(IRRI)を設立し、米の収穫量を倍増すると言う目覚しい成果を上げてゆきました。この研究の中心人物の農学者ノーマン・ボーローグは1970年にノーベル賞を受賞しました。爆発的な人口増加が予想される中、画期的な農法で人類の食糧危機を救うと言うのが受賞理由でした。

「緑の革命」が推進した農法とは、大量の化学肥料を農地に入れ、灌漑を張り巡らせ多量に水を供給し、改質された種を使い、効率を上げるため単一種の作物で栽培すると言うものです。当初は土地の条件に影響しない、気象条件に影響しない、従来の2倍の収穫ができるということで、飢餓のない明るい未来が高らかに語られていました。ところが1970年代も中頃になると予定になかった現象が起き始めました。作物が出来すぎて価格が暴落したり、窒素肥料を使いすぎて土壌が劣化して急速に収穫量が落ちてきたり、単一作物を栽培したため害虫が大量発生して、その駆除に大量の殺虫剤が使われ、農民の収入を著しく損ねることになりました。またこの農法は水を大量に使うために農民同士で水の争奪を巡って紛争が起きるようになりました。大量の水を畑に撒いたため、地中の深いところにあった塩分を吸い上げる結果となって畑は使えなくなりました。また大量の農薬が水源を汚し、魚が獲れなくなり、水質の悪化のため農民の健康を損ねてゆきました。大量の種、大量の農薬、高価な機械など資本集約型の農業になっていって、小作農の人々はますます貧しくなり支配者との対立が出来てしまいました。それぞれの地域に根ざした伝統的な農法は忘れ去られ、もはや戻る事が出来ず、農村は疲弊してゆきました。

「緑の革命」は、多くの多国籍企業によって、農薬、肥料、農業機械、農業技術、生産資材、そして専用の種がひとつのパッケージのようになって世界の農業市場に浸透してゆきました。中でも種は最も重要な要素でした。その種は、ハイブリッド、F1品種と呼ばれます。一代交配種です。例えば美味しいけど小さいという品種と不味いけど大きいという品種を掛け合わせると一世代だけは、美味しくて大きいものが採れます。ところが出来た作物の種、つまり二代目を畑に撒くと、どんな作物が出てくるか分かりません。小さくて不味いものが出てくる可能性があるわけです。こうなると何ヶ月も手間を掛けて作業するわけですからとてもリスクの高い栽培をする気にはなりません。そこで農民は、二代目は使わず、一代目をずっと毎回買い続けることになります。

巨大な多国籍企業は「種を制するものは世界を制する」ということで、現在でも実質的に食料で世界を支配してしまっています。日本人は種に対してとても鈍感です。日本列島は世界でも類まれな豊かな自然環境です。たくさんの種類の植物が当たり前に繁茂しています。たとえば空き地があったらすぐに雑草が生えて背丈を越してしまいます。アメリカのロサンゼルス郊外に住んでいた時、ひどい渇水の年がありました。スプリンクラーで庭に水を撒くと罰せられると言うほどでした。すると見る見ると草が枯れて街の様子が変わっていった恐怖の記憶があります。水の供給がない空き地には決して草も生えません。砂埃が舞う荒々しい風景です。そういう不毛の地に住む人々にとって植物は特別なもので、人から奪っても手に入れなくてはならない。人の手を加えても守らなくてはならないと切実に考えます。1853年ペリー提督率いる黒船船団が東京湾浦賀に来航しました。

幕府に開港を迫っている間に、何人かの植物学者が三浦半島の山に入り植物採取しています。伊豆半島から函館まで行ってひたすら日本在来の植物を採取して廻りました。今でもニューヨーク植物園にはそのときの350種の植物が保管されています。その植物園には世界から650万種の植物があることを誇っています。また、オランダから来た医師シーボルトは日本の植物を採取する隠れた特命を受けてやってきていました。1829年オランダへの帰国の際に伊能忠敬の精緻な日本の地図を持ち帰ろうとして発覚し、幕府からきつく咎められました。この時シーボルトに地図を渡した十数名の人たちは処刑されました。外国から攻められる恐れのある地図は当時は大事な軍事機密だったのです。同じように、シーボルトが持ち帰った植物についてはなにも咎めていないところからも日本人の植物に対する鷹揚さが分かります。植物が有り余る中に生きている幸せに改めて気付かなくてはなりません。植物は食べ物の元であり、薬の元です。命に係る最も大事にしなくてはならないものです。

現在の「緑の革命」は、更に進めて種に遺伝子組み換え技術を使って人工の品種を作るまでになっています。特定の種に専用の農薬をセットで買わせる新しいビジネスです。例えばある除草剤に対してだけ抵抗力のある遺伝子組み換えの種を作ります。こうして種と専用の除草剤をセットで売ります。芽が出て作物が育ち、周りに雑草があると栄養分が横取りされるので駆除することになります。このときいくら除草剤を撒こうが、作物の生育には影響しないという便利さです。これならば、安心してたっぷりと除草剤を撒いて、根絶やしに出来るわけです。大豆もじゃがいももほとんどの作物が、既に遺伝子組み換え作物です。ヨーロッパ諸国EUは禁止していますが、日本の政府はこれを認めてしまいました。そこでアメリカは雪崩をうつように日本に大豆を輸出するようになりました。スーパーマーケットに行って、日本の伝統食の味噌も納豆も遺伝子組み換えでないものを探す方が、難しくなってしまいました。

「緑の革命」の問題の中で忘れてならないのは、生物多様性の喪失ということがあります。6500万年前、恐竜がいた時代、1000年に1種類の生物種が絶滅していました。1600年天下分け目の関が原の合戦の頃になると4年に1種類が絶滅していました。現代は飛びぬけて絶滅スピードが加速していて一日に100種類の生物種が絶滅しています。一つの植物種が消えるとこの植物に係わる6種類の昆虫や動物が消えると言われています。殺虫剤、除草剤、枯れ葉剤など農薬はその名の通り生物を殺傷する薬剤であることを忘れてはなりません。「緑の革命」は、自然環境を傷め、人の健康を蝕み、貧困格差を作り、持続可能な農法ではないことがはっきりしています。
これに代わるのは「オーガニック革命」です。有機農業、無農薬農業の新時代です。

その地域その地域にあった伝統的な農業の仕組みを尊重し、大自然の営みを科学的に利用して、何百年、何千年農業を続けても自然環境を傷めない農業の革命です。そして支配される農業から脱して自立でき、仕事を誇れる豊かな農業に変えてゆきます。
1990年頃から始まったオーガニックコットンの農業は順調に拡大しています。
「オーガニック革命」は着々と成功してきています。

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日本オーガニックコットン流通機構
理事長 宮崎 道男

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2008.4.16 up

数字でみるオーガニック製品



オーガニックの市場がどれほどのものか、参考までにあちこちの数字をまとめてみました。
推計は宮崎個人が経験的に出しています。あくまでも参考と言うことでお取り扱い下さい。

2%
有機認証のある農地の面積   3,040万ヘクタール(2006年)
世界の農地の総面積      14億ヘクタール

・・・・BioFach2008 公表データより

4兆円
2006年のオーガニック商品(食品が中心)の世界市場

・・・・2000年にオーガニック商品の世界の市場規模は1兆円と言われていた。

・・・・Organic Monitor社調査より

0.25%
オーガニックコットンの生産量 5万トン(2007年)
世界の綿の生産量      2000万トン(数年平均)
0.23%
日本へのオーガニックコットンの輸入量 2000トン(推計)
日本への綿の輸入総量         84万トン(数年平均)
2162億円
オーガニックコットン製品の世界市場規模
ウォールマート、ナイキ、ウルワース、スイスコープ

・・・・OTA調査

24ヵ国
2007年のオーガニックコットン生産量 57931トン

(前年比53%増加)

トルコ、インド、中国、シリア、ペルー、アメリカ、ウガンダ、タンザニア、イスラエル、パキスタン他

・・・・OTA調査

0.1%
オーガニックコットン製品の日本市場規模  推計 70億円
日本の綿製品の市場規模              4兆円

・・・・国民経済計算年表1998年、アパレルマーケット総額11兆円、

綿製品約38%・・・・・4兆円

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日本オーガニックコットン流通機構
理事長 宮崎 道男

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2008.3.18 up

ブランドコットンとブレンドコットン

ブランドがいいか、ブレンドがいいかコットンに限らず、お米や、コーヒー、お酒で、いつも問われています。

お米で言えば、「あきたこまち」や「こしひかり」といったブランド米に対して色んな産地の米、新旧の米を一定品質に混合調整したのがブレンド米です。
コーヒーでもブルーマウンテン、キリマンジャロに対してミックス混合したのがブレンドコーヒー。ブレンドは、味に当たり外れのない万人向き、無難というのが特長です。


さあコットンではどうでしょう。ここにスイスのパートナー会社からの一通のお詫びの手紙があります。オーガニックコットンの糸を加工する会社の責任者から来た手紙の内容です。

2005年のインド産のオーガニックコットンの収穫の最終段階の綿の繊維の長さが予定より短く、糸の品質が劣る可能性があり、
誠に残念ながら一部ウガンダ産のオーガニックコットンを混ぜます。
純粋性を貫くオーガニックの精神から外れることであり、あってはならないことは十分に承知しています。
今後とも純粋性を守る努力を惜しみません。この度の件は例外としてご了承ください。

繊維の検査を専門に行う機関によると、綿に綿をいくら混ぜても混ざったものから、混合の比率を割り出すことは不可能とのことです。このスイスのメーカーは黙って一定品質のオーガニック綿糸を供給してもなんら問題にはならないことですが、このように深い罪悪感を感じながらの手紙になったのです。

日本の一般的な綿糸加工の常識からすれば、何もそこまで産地にこだわることはないのではないか。要は、混合しても安定した品質の綿製品を供給すればよい、ということになります。

世界のオーガニックコットンの生産者の常識とここが異なります。「日本の常識は世界の非常識」と各方面で言われていることですが、コットンの世界にもあることでした。

オーガニックコットンは、大体多めに見て年間一万トン獲れています。これに対して一般綿は約二千万トン。比率にしてわずか0.05%という希少な特別な綿原料ということになります。このわずかな原料を前にして、大きくふたつの考え方に分かれます。

需要を伸ばし、世界のオーガニック農場を増やし、農薬の害を減らそう。そのためには大量に売らなくてはならない。色んなものと混ぜて価格を下げ、売れるように、色を付け柄を付け、巨大消費市場の真ん中に持ってゆく。ナイキ、パタゴニアなどの大手企業がこの考え方で展開しています。

もう一つの考え方は、混ぜたら絶対に見分けが付かなくなる素材ならば、徹底的に素材の正統性、純粋性を追求しないと、オーガニックコットンそのものの価値観が雲散霧消してしまう。そこで、純粋、安全の規準を作りオーガニック精神を製品に具現化しようというものです。

NOCグループは後者の立場で、展開しているグループです。オーガニック原綿や綿糸生産の背景について第三者の機関が認証していることを最も重要な要素にしています。

産地ごとの綿花から糸になったものを扱うわけですが、これはリスクを伴うことでもあります。綿は言うまでもなく農産物です。その年年の気候が頼りで、年毎に品質が異なります。去年は質がよかったが今年のものはちょっと落ちるなんていうこともあるわけです。

一般の消費者が、製品の、その違いを見分けることは出来ませんが、製造する人たちはいつもこの点に苦労されています。オーガニックコットンを採り入れない工場の方の理由は価格が高いということより、原料の品質が不安定な事なのです。

化学的な処理をせず、目の肥えた現代の消費者が満足するデザインや機能性を追及する。これは並大抵のことではありません。科学万能のこの時代にNOCグループはあえて100年も前の古い“もの作り”に戻して行こうとするものです。化学薬剤を止めて天然の材料を駆使して仕上げる。それが自然環境を傷めず、人の体に安全な方法だと分かった以上このまま前に進めるしかありません。
スイスの会社が見せた正直さに応えて、今後も氏素性の確かなブランドコットンの普及に努力してゆきます。

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日本オーガニックコットン流通機構
理事長 宮崎 道男
2006.5.18

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オーガニックライフは
「ナチュラルライフ」「スローライフ」
「ロハス」のような、ひとつの
ライフスタイルの提案です。
天然自然の産物をありのまま生かし
等身大の心地良い生き方を
考えてゆきます。
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日本オーガニックコットン流通機構は
ORGANIC LIFE/オーガニックライフ
という商標を登録しています。